米意向に逆らった政治家の末路
戦後日本の従属構造検証


本稿は『【禁断?】米国の意向に反した政治家はどうなってきたのか...外務省の大先輩と議論しました。』(https://youtu.be/9MJ-iVnfBy4の内容と各種補足報告から再構成した資料です。


アメリカ恐怖症の存在

本当に「アメリカ恐怖症」というものが自民党の中には存在するのだと思います。

日本のマスコミや検察などを見ていると、あたかも米国の利益と一体化して動いているのではないかと感じられる場面が少なくありません。

検察の歴史的役割

ある検察関係者によれば、東京地方検察庁特捜部の出発点は、戦後に日本政府が隠し持っていた旧日本軍関連の物資や情報、いわば「隠匿物資」を探し出し、それを米国のために吐き出させる役割にあったと言われます。

つまり、特捜部は発足当初から、米国の意向と密接に結びついた存在であり、その意味で「米国の一部」のような位置付けでスタートしたという説明です。

戦後食糧危機と公職追放

第2次世界大戦直後、日本は深刻な食糧危機にあり、「このままでは1000万人規模の餓死者が出る」とまで懸念されていました。

その一方で、戦争に関与した軍人や行政官は「パージ(公職追放)」の対象とされ、彼らがそのままでは米国からの食糧援助を受けられない恐れがありました。

そこで本来であれば追放されるはずだった思想検事や旧軍関係者の一部が、「米国に協力する」ことを条件に、検察や行政の一角に残ることを許されたとされます。

彼らにとって、米国の利益に忠実に尽くすことは、自分や家族の生命を守るための、背に腹は代えられない生存戦略でもあった、という自己認識があったのです。

検察の構造内面化

その帰結として、日本の検察は、「米国の要求に応えることで、自らの存在を正当化する」という構造を内面化していった面があります。

ロッキード事件で検察が異常なほど積極的に動いた背景には、「自分たちは戦前の罪を清算し、米国の忠実な部下として生まれ変わったのだ」ということを、米国に対して示そうとする心理が働いていた、という解釈も語られています。

メディアのCIA結びつき

メディア側でも、読売新聞の正力松太郎がCIAと深く結びついていたことは、すでに多くの資料や研究で指摘されています。

戦前に治安維持法や朝鮮問題をめぐる事件で有罪となった経歴を持つ正力は、本来ならば戦後の公職追放の対象になってもおかしくありませんでしたが、米国に協力することで、むしろ読売新聞を通じて日本の世論を米国寄りに誘導する役割を担うようになりました。

正力にCIAが与えたコードネーム「PODAM(ポダム)」は、米国側が彼を戦略的に活用しようとしていたことを象徴しています。

読売のトップがそうであれば、その下にいる記者や編集幹部も、自然と米国寄りの報道姿勢を受け継いでいきます。

朝日新聞のCIA関係

朝日新聞についても、戦後の一部幹部がCIAと関係を持っていたと指摘する研究があります。

表向きには「リベラルで反権力」「国民の味方」といったイメージを維持しつつも、安保条約や基地問題など国家の針路に関わる決定的な局面では、最終的に米国の立場と整合的な方向に世論を誘導してきた、という見方です。

象徴的なのが60年安保闘争です。

安保改定に反対する大規模なデモが盛り上がる中で、「このあたりでデモを打ち切ろう」とする調整が、新聞社7社の会合で行われ、そのまとめ役を務めたのが朝日新聞だったとされます。

国民の側から見ると、「読売は最初から米国寄りの機関紙のようなものだ」と認識されがちです。

しかし実際には、読売だけでなく朝日も、最も重要な局面では米国の意向に沿う立場をとってきたという指摘は、重く受け止める必要があるでしょう。

最高裁の米国意向

司法の世界でも、戦後日本の最高裁が米国の意向を色濃く受けていたとされる事例が指摘されています。

たとえば砂川事件をめぐる違憲判断をめぐり、当時の田中耕太郎長官が、最高裁判決の前に米国大使館と協議を行ったとされる点は、戦後司法の独立性に対する疑問として繰り返し論じられてきました。

砂川事件の重要なポイント

ここには二つの重要なポイントがあります。

第一に、日米安全保障条約の改定を急ぐ米国側にとって、下級審の違憲判断を覆し、安保体制を正当化する最高裁判決が早急に必要だったこと。第二に、その過程で通常の審級――地方裁判所、高等裁判所、最高裁――を飛び越えて高裁審を省略するという、異例の手続きがとられたことです。

田中耕太郎の背景

田中耕太郎は戦前、東京大学法学部長という立場にあり、治安維持法体制を理論面で支えていた側の人物でした。

本来であれば戦後のパージ対象になってもおかしくない立場でしたが、「戦後は米国に奉仕することで生き延び、最高裁長官にまで上り詰めた」人物として、戦前・戦後の連続性と断絶を象徴する存在とみなす論者もいます。

エリートの従属構造

こうした過程を通じて、戦後日本のエリートたちは、「自分や家族の命、地位、生活を守ること」と引き換えに米国への従属を選んだ面がある、という指摘があります。

つまり、「アメリカが好きだから従属している」のではなく、「占領期における生存と引き換えに、米国追随が体質化してしまった」という構造です。

日米合同委員会の非対称

この構造は、日米合同委員会の運営にも現れているとされます。

日本側の代表は外務省北米局長など政治的責任を取りにくい官僚クラスであり、米国側は在日米軍ナンバー2や米大使館の高官が出席し、両者が合意しない限り議事内容は公表されない仕組みになっていると言われます。

この枠組みの下で、「日本側が言いたくても言えない」「米国が認めなければ決定が表に出てこない」という非対称が構造化してきました。

分科会のエリート育成

さらに日米合同委員会には、多数の分科会が設けられ、各省庁から選ばれた“有能な官僚”が参加し、「米国に通じるエリート」として育成されてきたと指摘する声もあります。

このようにして、官僚500人規模の「米国寄りの支配層」が形成され、彼らを通じて日本の政策や行政運営が長期にわたり米国の利益に沿う形で調整されてきた、という見立てです。

首相官邸への圧力

米国にとって最も都合の良い圧力のかけ先は、公開の会議ではなく、首相官邸のごく少数の人間である、という発想も、ここから説明されます。

会議の場であれば、公平性や透明性が一定程度求められますが、首相やごく少数の幹部に対する非公開の圧力であれば、他の官僚や国民の目に触れずに政策を動かすことができます。

その意味で、「アメリカに最も弱いのは日本の首相である」という指摘は、比喩ではなく構造的現実を突いたものといえます。

CIAの暗殺計画

実際、CIA関連の文献には、各国首脳に対する暗殺計画や政権転覆工作に関する記述も見られます。

日本の首相が直接暗殺の脅威に直面しているかどうかは別としても、「体制転換」や「経済制裁」が現実の道具として使われ得る世界で、対米関係をどこまで突っぱねられるかという恐怖が、歴代政権の背後に常に存在してきたと考えることはできます。

自主性を示した政治家の退場

石橋湛山、橋本龍太郎、小渕恵三など、対米関係で一定の自主性を示そうとした政治家が、さまざまなかたちで退場させられてきたのではないか、という憶測も根強く存在します。

もちろん個々の事例について「米国の謀略だ」と断定することはできませんが、そうした疑念が繰り返し語られてきたこと自体が、日本政治エリートの対米恐怖を象徴しています。

グレアム・アリソンの理論

理論面では、グレアム・アリソンのように、「米国の勢力圏にある国が米国の要求に反すれば、政権交代や大規模経済制裁などの手段が取られる」と公然と論じる米国側の学者・実務家もいます。

アリソンは単なる評論家ではなく、国防総省の高官やハーバード大学ケネディスクールの初代学長を務めた“体制内部の人物”でもあり、その発言は米国エリートの本音の一端を示すものと受け取るべきでしょう。

アメリカ恐怖症の合理性

こうした現実を踏まえれば、自民党の中に根深い「アメリカ恐怖症」が存在するのは、単なる感情ではなく、歴史経験からくる合理的な恐れとも言えます。

すなわち、「米国に逆らえば、国内の検察やメディアが一斉に動き、世論の力を借りて政権や政治家を潰しに来るのではないか」という恐怖が、党内文化として受け継がれてきたのです。

アメリカ社会の複雑さ

しかし同時に、アメリカ社会そのものは一枚岩ではなく、多様な勢力がせめぎ合う複雑な空間でもあります。

だからこそ日本側としては、「米国=単一の意思」と決めつけず、どの勢力とどの部分で距離を取り、どの部分で利益を共有し得るのかを冷静に見極める必要がある、という結論が導かれます。