ニマ: スコットさん、このセッションを締めくくるにあたり、ガザの情勢についてどう見ていますか?イスラエルの行動に対して25か国が非難を示していますが、実際に何か実質的で実行力のあること──ネタニヤフ政権に何らかの決断を迫るような──がなされているかというと、そうは思えません。現地の映像や写真を見ると、あまりに信じがたい状況です。
スコット・リッター: 私はこれを以前から言ってきました──もしかするとあなたにも言ったかもしれません──「飽和要素」や「疲労要素」のことです。イスラエルは、ガザの死の映像を世界中のメディアに飽和させることで、もはや毎朝200人の市民──その多くは女性や子ども──が殺されるのが“普通”になってしまっています。
私たちは、バラバラになった子どもたちの遺体を見ても、動じなくなっています。イスラエルの狙撃兵が無実の人々を撃っても、もう驚きません。何があってもショックを受けない。それがただの「背景音」になってしまっているのです。「ジェノサイド」という言葉でさえ、何度も使われ、何の結果も招かなかったことで、もはや意味を持たなくなってしまいました。世界はすでに、イスラエルがジェノサイドを犯していると受け止めているにもかかわらず、飽和されすぎた情報のせいで、誰も驚かないのです。そして、私たちはそのまま日常を続けています。
パレスチナ人の苦しみに対する世界の無関心は、現在進行中の最大の悲劇のひとつです。その無関心ぶりは、まるで現実を見ているのではなく、リアリティ番組を見ているかのようです。「エンタメ化」されてしまっているのです。世の中には、人をショックに陥れたり恐怖に駆り立てたりするタイプの映画ジャンルがありますが、この状況も同じです。
本当に悲劇的です。心底、嫌悪しています。吐き気がするほどです。
でも、世界全体が良心というものを持たなくなってしまったとき、私たちには何ができるのでしょうか?まったく、何もないのです。以前にも言いましたが、人々の中には「ヒズボラに介入してもらおう」と言う者もいました。しかし私は言いました、「そんなことはすべきではない」と。なぜなら、ヒズボラが介入すれば、それは別の種類の紛争となり、さらに多くの人が死ぬことになるからです。そして物語が変わる──それは“新しい”からです。
「レバノン人が死んだ?」──それは“新しい”ストーリーなので注目される。「レバノン人の死体を見よう」──ガザ人の死体はもう見飽きた。もう何度も繰り返し見てきた映像です。
そして今、シリアは崩壊しつつあります。ドルーズ教徒が撃たれています。その映像も出回っています。「それを見よう。これは新しい。面白い。初めて見る映像だ」と……。私たちは、レバノン人の死も、ガザ人の死も、飽きてしまったのです。
これが人間の本質の歪みです。死があまりにも日常となり、普通になり過ぎていて、その悲惨さすら忘れてしまったのです。ヒンド・ラジャブ(※少女の名前)の死は、世界中の人々に涙を流させるようなものだったはずです。でも今では、彼女のような子が、ガザで1日に20人も死んでおり、私たちはもう感覚が麻痺しています。何も感じないのです。
私は、今の世界で起きていることを弁護することはできません。できません。自国で起きていることすら正当化できません。私たちアメリカ人は、これを助長しており、容認しており、正当化すらしているのです。
ヨーロッパは良心を完全に失っています。何の中身もありません。ただ「反対している」と言い続けるだけです。カヤ・カラスは「もしやめなければ、何かするぞ」と言いました。でも「何をするのか?」──何もできません。
中国は少なくとも、「ガザ市民の虐殺が継続すれば何らかの行動を取らざるを得ない」と言いました。西側が行わないことを、中国がやろうとしているのです。中国に軍事介入の能力はないにしても、少なくとも彼らは「良心を持とうとしている」ように見えます。
でも、本当に……ニマさん、私はこれに心底、吐き気を催しています。本当に、気分が悪くなります。
私は何をすれば良いのかわかりません。ケフィーヤを頭に巻いてデモに参加する?やったところで、何万人のうちの一人にすぎませんし、何も変わっていません。記事を書く?書けます。でもそれも、すでに何千本と書かれている記事のひとつにしかなりません。ロビー活動をする?何のために?アメリカ議会は気にしません。親イスラエル派のロビー団体があまりにも強力で、議会はすべてを無視するのです。
反対意見を表明しただけで犯罪者扱いされ、イスラエルに異を唱えると弾圧される。アメリカはこの点で機能不全です。ヨーロッパも同様です。その結果、イスラエルという小さな、ジェノサイド国家が、文字通りの殺人を犯しても罰を免れています。
唯一、イスラエルに責任を取らせている存在がハマスの勇気です。
それしかありません。ハマスが毎日、イスラエル占領軍に一撃を加えることで、この戦争が終わりに近づいているのです。最終的に戦争を終結へ導くのは、勇敢なるハマスの抵抗です。そして悲しいことに、パレスチナ人たちの不屈の忍耐がそれに続きます。空腹の中で、爆撃の中で、虐待されながら、彼らは決して膝を屈さず、抵抗し続けているのです。
私はもう、どこまでも話し続けられます。本当に。なぜなら、何を言えば良いのかわからないのです。それが真実です──言葉では、これらの現実を表現することができません。言葉は、もはや無意味です。
今、必要なのは「行動」です。
必要なのは、エジプト軍が動員され、ネゲブに進軍し、ディモナを制圧することです。必要なのは、ヨルダン軍が西岸からエルサレムへ進撃し、それを奪還することです。必要なのは、トルコがシリアを突破して、テルアビブを占領することです。
必要なのは、イスラエルという国家が世界から一掃されることです。これこそが、必要なことです。
なぜなら、イスラエルは中東にとって、そして世界にとっての癌だからです。それを信じない人は、無知です。今のイスラエルの姿を見て、それを正当化することなどできません。
イスラエル国民自身の発言を聞いてください。人質解放を望む者でさえ、戦争の中止を望んでいません。大多数が「ガザ人を殺し続けても構わない」と信じています。
イスラエル人の大多数が、それを「正当」だと考えています。イスラエル人は、「民間人なんて存在しない」と公言しています。アラン・ダーショウィッツでさえ、アメリカのテレビで「罪のない民間人なんていない」と発言しました。
アラン、なんてことだ。私はあなたに「思いやり」について語ったことがあります。
でも、ここには思いやりはありません。私たちは「民間人」の概念を消去したため、すべてが合法的な軍事標的となった。イスラエルの閣僚たちは平然と「皆殺しにする」と発言しています。それでも世界は、彼らを存在させ続けているのです。
唯一の解決策──それはイスラエルの消滅。ただし、世界はまだ、それをする覚悟ができていません。
では、一体何が必要なのでしょうか?
悲しいことに、世界は全パレスチナ人が死に絶えるまで、何の行動も起こさないと私は思います。なぜなら、私たちはパレスチナ人の死に、完全に慣れてしまったからです。
いつか、私たちが目を覚ますと……そこにはもう誰もいないでしょう。