—— 高市政権の「沈黙」という選択を問う
2026年7月4日、イラン首都テヘランで前最高指導者アリ・ハメネイ師の国葬が始まった。米国とイスラエルの攻撃で2月末に殺害された同師の葬儀には、約100カ国の政府要人らが弔問に訪れたとされる。ロシア、中国、パキスタンなど各国の弔問団が施設を訪れ、ハメネイ師を追悼した。
そして日本は——いなかった。
日本政府(外務省・首相官邸など)の公式派遣に関する報道は、少なくとも本稿執筆時点では確認できない。100カ国近くが参列する国際儀礼において、日本だけが「参列しない」という選択をしたのである。
これは単なる「都合がつかなかった」では済まされない。外交上の明確なメッセージだ。イランは中東の要衝であり、ペルシャ湾岸の安定に直結する国だ。原油輸送の生命線であるホルムズ海峡を抑え、人口約8,800万を擁する地域大国である。そんな国の最高指導者の国葬に、日本は参列しなかった。
なぜ高市政権はこのような選択をしたのか。推測するに、米国からの報復を恐れたのである。ハメネイ師は米国の攻撃で殺害された。国葬に参列すれば、米国を「敵対国」扱いするイランの儀式に加担したと見なされることを、過度に警戒したのだろう。
しかし考えてほしい。ロシアは参列した。中国は参列した。パキスタンは参列した。これら全ての国が、米国と何らかの関係を持ちながら、毅然と参列しているのである。
米国と同盟関係にある日本だけが、「米国が怒るかもしれない」という恐怖のあまり、国際社会の常識から逸脱した行動を取った。これは対米従属の極致であり、独立した国家としての判断力を疑われる行為だ。
この選択の愚かさは、中長期的な日本外交のダメージにある。
国葬は一国の最高指導者に対する最大級の敬意の表明である。その場にいなかったことは、イラン新政権に「日本はわれわれを軽視している」という強いメッセージとして受け取られるだろう。今後、イランとの経済協力、エネルギー交渉、中東和平への関与——その全てにおいて、日本は「参列しなかった国」として扱われる。実際、日本企業3社がイラン産原油の購入に向けてイラン政府と協議を始めたとの報道もあるが、今回の不参列がその交渉に影を落とすことは必定だ。
約100カ国が参列する国際行事に欠席することは、中東全域に対して「日本はこの地域に関与する気がない」と宣言するに等しい。日本は長年、中東の平和と安定に貢献してきたが、この一件でその積み重ねが一瞬で色あせる。
ロシア、中国、パキスタン——いずれも自国の国益を優先し、米国の顔色を窺うことなく判断した。日本だけが違った。この差は決定的である。
高市政権は言うかもしれない。「安全保障上の配慮だ」と。しかし本当の「安全保障」とは、多様な国との関係を構築し、いかなる有事にも対応できるネットワークを築くことではないのか。
米国一辺倒の外交は、米国が求める時に米国のために動く「属国」のそれだ。真の独立国は、同盟国であっても自らの判断で行動する。今回の選択は、日本が「独立した判断ができない国」であることを世界に晒したのである。
イランという国をどう評価するかは別の問題だ。しかし国葬への参列は、その国の指導者個人への評価ではなく、国家としての礼儀と未来への投資である。高市政権はこの基本を忘れたのか。
歴史はこの選択を厳しく評価するだろう。「2026年7月、日本は世界から孤立する道を選んだ」 と。
一国民として、私は深い憂慮とともに、ここに警告を発する。